一. 遣らずの雨と土砂崩れ

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 日が暮れても、月が覆い隠されていてはどこか空恐ろしい。
 時刻は夜に入った辺り。屋敷では皆が揃って食堂に集まったところだった。
食事の席は相変わらずの静けさで、窓から染み入ろうとする夜の暗がりをはらう電灯もどこか重く感じられるほど。
 気を利かせた千郷はしきりに懐月に話を振るのだが、それがかえって御奏の無言の度合いを引き立ててしまい、彼の表情は更にぎこちないものになる。
 だから千郷の話が一段落した頃を見計らって、懐月は意を決することにした。
「御奏さん」
 呼びかけに黙々と夕食を片付けていた腕が止まり、ナプキンで口元をぬぐった彼女は話を聞くために顔をあげる。
 御奏にしてみれば当然のことなのだろうが、懐月にとって慣れない動作を自然にやってのける様にやや気おされながらも彼は二の句を押し出した。
「朝書庫に来たときに渡し、た……」
 最後まで言い終わるのを待つことなく、御奏は一礼するなり席を立って懐月に背を向け、食堂を出て行った。
 中途半端に放たれた台詞は宙に吸い込まれ、後を引きずるように消えてしまう。
 目線を落とせば、手際のいいことに御奏の料理は綺麗に片付けられていた。それこそ文句のつけようもないほどに。
 硬直してしまった懐月に、困ったように千郷が声を掛けた。
「気にしないでください。あの子が屋敷に来る少し前から、客人が来るなんていうことは絶えてなかったことですし、そもそも私と主人以外に接する人もいなかったものですから、人と触れ合うということに慣れていないんでしょう。それに加えて、異性ということで戸惑いも大きいのかもしれません」
「そういうものですか」
 一息で、しかし聞き取りやすい口調で説明する千郷に懐月は理解を示すが、眉は八の字に下げられていて、受け入れたとは言い難い。
 そもそも御奏とは違った理由で異性と関わる機会の少なかった懐月には、女性というものは未知の人種と言っても違和感はないほどだ。そもそも接点がバイト先くらいしかないということもあるのだろうが。
 よって分からない故にどこか納得のできないままの懐月が口の中にロールパンを放り込むのに、千郷が話を区切るように首を傾げ訊ねた。
「ところで、書庫に来たときに渡したというのは?」
 ああ、と懐月は頭を切り替え、納得の声を上げる。
「朝少しありまして。中々難しい本を借りていったみたいですから、きっと頭のいい子なのでしょうね」
「ええ。御奏の名に恥じぬ聡明(そうめい)さをお持ちですよ」
 我がことのように喜んで、千郷は微笑んだ。
 懐月はそう言う彼女にこそ底知れぬものを感じるのだが、口にすることでもないと御奏についてのみ肯定を返す。
 最後にバターを乗せたパンを口に放り込むと、待っていただろうに、あくまでゆったりとした動作で千郷が前に進み出た。
「では私は後片付けに入りたいと思うのですが、懐月さんはこれからどうなさいますか?」
「そうですね。することもありませんし、また書庫で本を読み耽りたいと思います」
 苦笑する懐月に千郷は食器をカートに戻しながら応え、感化されるように顔をしかめた。
「若い人が不健康に……と言うべきなのでしょうが」
 彼女は中途で口を閉ざして窓の外に顔を向け、つられて懐月も鈍色の空へと視線を移す。
 雨が途切れる気配はなく、太陽が姿を見せることもまた同じ。
 しばらくの間、懐月は本の虫になるしかなさそうだった。とはいえ、
「この辺りでは、さすがに晴れていても外で何かをすることはないでしょう」
「あら。そうでもありませんよ」
 否定する千郷は、晴れた日に時間が開いていれば、日光浴がてらに外を散策することも珍しくないのだと言う。
 とことん時代に取り残された、天然記念物のような人だった。


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