エピローグ

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 全てをやり遂げた人間というのは、誇らしく胸を張って生きるものと、ようやく終わったと開放感に包まれるのと二通りがある。
 今の彼はおそらく後者だろう。
 ちらほらと雲が気ままに浮かぶ青空の下、懐月は肩にボストンバックを下げ、いつかと同じ軽装で山道を踏み進んでいた。
 疲れてはいないようだが、首筋を流れていく汗は懐月の顔を不快に歪ませる。
 夏も盛り。照りつける日差しは殺人的なほどで、時折流れ行く風とささやかな木陰が彼を救っているといってもいい。
 あれから懐月は親戚の元に立ち返り、啖呵(たんか)を切って家を出た。
 各所に世話になった彼を、親戚が連れ戻すことはもうない。
 始めこそ地獄を見たものの、最終的には貯めた金で大検を合格。大学にも入学して、今はバイトと勉学に心地よい疲労感に包まれていた。
 生まれ変わるとはこういうことを言うのだろう、と懐月は山を上へ。
 街中のビルの代わりに立ち並ぶ木々がトンネルを作り、それを抜ければまだ馴染みの薄い洋
館が彼を出迎えた。一度も外に出ることがなかったために、その姿に感慨(かんがい)は尽きない。
 雨に隠れることのない屋敷を見上げ、懐月は玄関に立ち入り、バッグを下ろす。
 扉の前に立てばインターホンなどは無粋とばかりにノッカーが存在を誇張しており、懐月は応じるために手を伸ばした。
 一度、二度と硬質な音が来客を告げるが、待ってみても反応はない。
 まさか扉の先が倉庫であり、住人には何も聞こえていないということはあるまいか。
 そんな不安を懐月は感じ、しかし扉を引けばがちりと硬い感触。
 顔をあげれば、扉に笑われているような気がした。
「……仕方がない」
 玄関の屋根の下にいれば陽射しはしのげるだろうと懐月は腰を下ろし、手を額に当てて空を仰ぎ見る。
 果たして留守なのか、それとも単に屋敷が彼を入れまいとしているのか。
 もうずいぶん前の出来事を思い出し、懐月は苦笑した。
 あのときのことは友人には話していない。懐月がいくら口に出そうと彼らは信じないだろう
し、懐月としてもあの出来事を口に出すことは憚(はばか)られたからだ。
「やはり、突然の来訪は無理があったか?」
 とはいえ連絡先を知らなかった懐月である。調べようにも彼らは既に故人。屋敷自体は彼らの親戚と思しき人々の手に渡っており、話を聞こうにも出会うことはできなかった。
 ただ仲介人と自称する人の話によれば、屋敷は誰にも売ることなく、住人が許すのであれば出入りは自由にすればいいとのこと。
 懐月にとっては、それだけで十分だ。
 しかしながら連絡なしに来たところで誰一人出てこないのは当たり前だ。その点は失敗したと本人も自覚している。
 彼の座り込んだ位置は、あの時彼が立ち寄ったところと寸分(すんぶん)違わず同じ場所だ。中から見つ
けられないということはない。
 だとすれば、
「留守か」
 そう考えるのが妥当であり、もっともらしかった。
 だが諦めきれぬ懐月は最後に一度だけ呼びかけてみて、反応がなければ近くの旅館に世話になろうと決めて、きびすを返しノッカーに指をかける。
 同時に、背後では砂地を踏む音。
 首だけ振り返れば、日傘が頭を掠(かす)める。肩に伸ばされているのは雪白の細指で、懐月には手
首までしか見えない。
 まったく悪戯好きな子だと、彼は振り返った──


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