「あなたに一目惚れしました」
ちょっと可愛い子に面と向かって言われて、けれど俺は返事を返せなかった。
場所は駅のホーム。電車に乗り遅れて、しかも地方だから全然電車は来なくて、手持ち無沙汰でなにかないかなと思っていた矢先の出来事だった。なので何かしらのイベントがあったのに文句はない。しかも可愛い子に声をかけられたんだ。嬉しくないわけがない。
では何故返事を返せなかったか。簡単だ。
君は駅前でいきなり"一目惚れしました"なんて言われて喜んで飛び上がったりするだろうか。そうではないにしても、これはラッキーとすぐに反応できるだろうか。
答えはノーだ。
そりゃー見た目には気を使っているし、彼女みたいな子、有り体に言えば見た目は大和撫子タイプの美人に告白されて嬉しくないわけがない。
けれどどうにもしっくり来ない。おにぎりに塩が入っていない、何とも言えない感じがある。
考えてみる。彼女が言ったのは一目惚れしたって事実だけで、だから彼女がどうしたい、俺にどうして欲しい、という言葉がない。結論。
有り体に言えば、付き合って欲しい、というような言葉がすっぱり抜け落ちていたのだ。だから、微妙な座りの悪さを感じたんだろう。
とりあえず聞き返すにしても失礼にならないように、とりあえず後頭部に手を当てて戸惑うジェスチャー付きで、
「えーっと、どういう……」
声を出し、暗に説明を求めようとした時、アナウンスが鳴った。電車が来る音。
徐々に近づいてくる電車は彼女の視線をさらっていって、俺の声は届かない。いや、届いてないことはないのだろうが、彼女は反応しなかった。いよいよ彼女の行動に怪しさが目立つ。
告白直後に電車が来たから帰ろうっていうのは、一体どういう心境なのだろうか。終電でもなければためらいくらいあってもいいだろうに。
電車が到着しても人は殆ど降りない。名も知らぬ女の子はすぐに駆け出して手を振ると、
「あ。私この電車なんで。それじゃあ」
名も告げずに颯爽と消えていった。
まるで一陣の風。風が吹いたかと思えば、もうその風は通り過ぎている。
ガタンゴトンと独特の調子を刻みながら、列車は彼女を視界から遠ざけていく。彼女はこれを予想して話しかけてきたのだろうか。時間的にはドンピシャ。流れるような動きで去っていったもの推測の裏付けになる。
一つ失敗したのは、途中停車とはいえ電車の向かう方面は一緒だから、追いかけていって問い詰めることはできたということだ。
それをしなかった理由は、
「……なんだってんだいきなり」
一息ついて、独り言をごまかすように髪を整えた。
見た目はチャラチャラしていても、ごちゃごちゃ考えるばかりで行動に移せない。よく言われる自分の特徴が、ふと脳裏をかすめた。
それからの日常が変わったかと言われれば、さしたる変化はなかったと言える。
面白おかしく友人に語るにしても、最初こそ面白がられ喜ばれても、それ以上の発展がなければいつしか忘れ去られてしまうものだ。例え本人が気味の悪さを僅かなりとも抱えていようとも、所詮他人には他人事なのだ。
一時は警察に話すことも考えたけど、被害が出ていなければ、会話することもないのであれば、説明のしようがない。相手の特定は私服の学校らしいことが一目でわかった時点で諦めていた。
いや、機会はないこともなかったか。
あれ以来、駅にたどり着くと彼女は必ずいた。ホームに備え付けのベンチに座って、小説家何かを読んでいる。そして俺の姿を認めると、ほんの一二秒こちらを見て、また視線を落とすのだ。
かれこれ二週間、ずっと同じように。これはもう偶然じゃなくて作為的だと考えていいレベルだった。さすがに気味が悪い。
かと言って、俺自身、彼女に直接話しかけたりするようなブレイブハートを持っているわけではない。むしろ蚤の心臓だ。我関せず。何事も、関わらないことが平和への第一歩と信じている。内気バンザイ。
つまり持ちうる最高の対抗手段が、"飽きるのを待つ"という実に情けない状態だったのだ。
学校の帰り道、そんな経緯を話すと、
「相変わらずのヘタレ兄貴っぷりですね」
隣を歩いていた愚妹が、アメリカ人のように上手に肩をすくめてしたり顔。
余談だがうまく肩をすくめるのは俺としてはなかなかの高等技術で、特にこの愚妹のように相手に腹を立てさせるほどなめらかにやってみせるのは凄いことだ。褒めていい。いや、腹が立つから褒めないけど。
ちなみにこの愚妹は俺と同じ高校に通っており、歳の差は二歳。本日下校時に帰りが同じぐらいで偶然出会ったものだから、そのまま声をかけて一緒に帰っている。以上説明終わり。
極稀にあることで、いつもはなんとなくで一緒になっているだけだが、今回はちょっとした実験の意図があった。
あの謎の少女が告白のようなことをしてきたということの意味を確かめるためだ。
もし何らかの好意を俺に対して抱いているのであれば、この方法で間違いなく何らかのアクションを起こすはずなのだ。駅であんなことできるんだから、起こすはずだと思っている。たぶん。
相変わらずみみっちい自分に若干自己嫌悪に陥ってると、そんなことも知らずひょうきんな口調が飛んできた。
「で、なんで妹に仮想彼女をしろなんてキショイこと頼んできてるんですか。そんな一途な彼女さんがいるのに」
一瞬で自己嫌悪が吹き飛んだ。
「彼女違ぇー。つーか、二重の意味でこの案有効じゃね?あの子の思いを確認するのと、彼女いるから諦めてもらう的なさ」
思いつきにしては良い感じ、と考えたが、愚昧は人を小馬鹿にするような皮肉げな笑みを浮かべ、
「すっごい逆効果な気がするんですけど。ヘタレ兄貴」
「いや、まあ小説読んでるような大人しい子だから、そこまでのことにはならねーっしょ。あとヘタレ言うな」
まあ漫画やラノベとかだったらおとなしい子が襲ってくるというのはままあることだが、俺が読んでいるのは基本的にキャラクター重視のものばかりだから起こっていることだ。すなわち極端なキャラクターにすることで演出をよいものにするとかそんな感じ。
第一新聞とかでも、愛憎劇みたいなのは殆ど無い。せいぜいが児童虐待ばかりだ。新聞は面白おかしいものを取り上げるんだから、愛憎劇があればすぐに記事にするはず。
そもそも彼女の物腰や風体を見ると、急に発狂して襲ってくることはないはず。いや、それは行き過ぎにしても、逆ギレしていちゃもんつけてくるような相手には見えなかった。
よって問題はない。万が一なにか起こっても、罪悪感が芽生えるくらいで済むはずだ。泣かせてしまうとかそんなの。
よし、と意気込んで駅に踏み込む。二人共定期があるので、流れるようにプラットフォームへ。
定期をかざす、プラットフォームへ足を踏み入れる、いつもの子がいるのを確認する、これみよがしに見える位置へ移動する、いつもの子が歩いてくる、いつもの子が鞄を振りかざす──そして妹が殴られた。
フルスイングだった。しかもカドだった。結構嫌な音がした。
そして電車が到着。部活のない下校組には彼女を捕まえようという勇猛果敢な人はいなかったらしく、駅のホームにいる学生は誰一人として動き出さなかった。たった数人だったし、呆気にとられていたのかもしれない。
俺も俺で、愚昧とはいえ肉親を放置していくわけにもいかず。電車を降りてきた人が何事かと俺達の方を見るが、その頃には犯人はもうその正反対側に消えていった。
手段として、声を上げるというのがあったにはあった。
けれど、近づいてきたあの子が見せたのが、眦を下げて、何かをこらえるような、今にも泣き出しそうな表情だったから。
それでも出そうと思えば出せたのかもしれない。けれど列車はすでに走り出していて、呻く妹を放っておくわけにもいかなくて、全ては手遅れだった。電車の神様なんてものがいるなら彼女に取り憑いているんじゃなかろうか。それくらいにタイミングのよい逃避行。
この時ばかりは、自分の優柔不断に腹がたった。
とはいえ、駅構内は下車してきた一般人のせいで騒がしくなり、妹は血を流して"いたいー"とうるさい。そして慌てて走ってくる職員。これからのことを考えれば腹を立てている場合でもない。
深く深くため息をつく。
なんだか俺も泣きたくなった。
妹はかろうじて一命を取り留めた……というほど酷い怪我をしたわけではなく、ちょっと消毒してガーゼを当てていればすぐ治る程度の怪我だった。不幸中の幸いといったところだ。それでも頭から血が出たというのは、家族でなくとも大丈夫か不安になってしまう。何しろ革製の手提げ鞄をフルスイングして、しかも角で頭部に叩きつけたのだ。傍から見れば不安にならないはずはない。
だというのに当の本人はテレビを見ながら超リラックスで寝っ転がってせんべいなんぞかじっている。頭に付けたガーゼとそれを覆うネットが微妙に病人っぽさを演出しているが、あくまでそれだけだ。
愚妹がテレビに視線は固定したまま、ふと声をかけてきた。
「兄貴もこれから大変だよね」
「マジでな。いや、もうほんとに。なんなんだあの女マジ頭おかしいでしょ」
「マジマジ言いすぎです。いいじゃないですか、そこまで好かれるなんて。愛ゆえに妹にすら嫉妬して涙を浮かべる美少女。絵になります」
ならねえよ。被害者にしてみればただの通り魔だよ。ていうか見てたのかよ。
フルスイングで頭を殴られといてその感想が飛び出る辺り、この愚妹も大概頭がおかしいらしい。
人知れずため息をつくと、愚妹は目ざとく身体を起こし、こっちに振り向いて指さした。
せんべいが口元でパリッと割れる。
「今頭おかしいと思ったでしょう」
「うん」
歯に衣着せずに告げると、愚妹は腕を組んでふんぞり返った。
「当たり前でしょ。なんせ頭打ってるもんね」
「なんで偉そうなんだよ。ってかその返し大概ってことに気づけ。あとどうでもいいけど今、お前は俺の妹なんだなー、って気がしたよ」
「それはそれは。兄は頭がオカシイと」
「そこじゃねえよ」
と、適当言い合うだけでも人間落ち着くもので。
なんだかんだ頭どつかれてもそこそこ元気そうでいつもの調子の妹を見て、人知れず胸をなでおろすことができた。
さて、それから。
頭おかしい愚妹は無事ガーゼも取れた。ただあの事件の後遺症なのか、それとももともと素質があったのか、若干オープンな正確になっていて兄としては困っている。本人は楽しくてしかたがないだろうが。
しかしまあ、傍から見ている分には良い感じに学生という風で、友達も増えて楽しくやっているようだからよしとしよう。馬鹿をやるのも学生の仕事だと、親父も言っていた。例の鞄で頭部一撃の事件が地方紙の一コマを飾って、ちょっと浮かれているだけの可能性もある。
そう。地方紙に載ってしまっているのだ。
数日前に目にした見出しを思い出し、思わず溜息がこぼれる。
唯一犯人をまともに目撃した可能性がある俺たち二人は、当然だが被害者であることも兼ねて事情聴取を受けていた。悪いことをしたわけではないのに、なんとなく居心地悪くなりながら、隣で愚妹が、とにかく美少女で、と強調するのに頭を抱えて、困った様子の警察官の兄ちゃんに多少親近感を抱きつつ。
結局見出しは、"謎の美少女、下校途中の学生を殴打"だった。
フォーマルな記事が並び中の、妙にゴシップめいた見出しは、ある程度の人の心には残ってしまうらしく、程なくしてその内容は申し訳程度に町中を駆け巡ることになっていた。
町中の人がこの事件を知っている。それにもかかわらず、誰一人としてその美少女とやらを捕まえることはできていない。
だから彼女は、まだこの街にいる。
「遅い」
プラットフォームに入ると、咎め立てるセリフとは裏腹に、若干弾んだ声が投げかけられる。
読んでいた本から顔を上げて、駆け足で寄ってきたのは、噂の少女だった。
この子を警察につきだしたら金一封もらえるのだろうか。我が事だから無理だろうかと考えながら、ひとまずの謝罪に口を開く。
「ごめん」
彼女は気にせずこちらの腕に手を絡める。
「構わないよ。学校、今日は遅かったのかな」
「別に。ちょっといつもよりのんびり歩いてきただけ」
「そっか」
会話が途切れ、なんとなく電光掲示板を確認する。並んだ時計と照らし合わせると、あと数分で電車は到着するらしい。
彼女にとっては家路に向かう電車。俺にとっては家路の途中に停まる、あの時、最初に出会った時と同じ電車だった。
沈黙が気になりだした頃、彼女が口火を切った。
「そうだ。今日はショッピングに行かない?そろそろ冬物の服が欲しいと思ってたし」
「今金あんの?」
言ってから、しまったと思う。なんとか引いてもらおうとするあまり、あまり良くない言い方をしてしまった。
実際彼女はわずかに顔をしかめて、
「あるけど……そういう質問は良くないよ?」
バレないように息をついて、なし崩し的に前言をごまかす。
「オーケー。んじゃ行こうか」
「やたっ」
小さくガッツポーズ。たった一言で、彼女の雰囲気がぐっと変わるのがわかる。
俺なんかの言葉で一喜一憂してしまうほどに、彼女は俺のことを好いていてくれているんだということがわかる。あくまで推測で、ともすれば急にうちの妹を殴打するような危険性も孕んではいるけれど。
余談だが、彼女に殴打したのがうちの妹だということを伝えると、まさかのフルーツセット持参で謝罪にきて驚いたことは記憶に新しい。わりと高いし、あれ。
電車が到着。降りる人は誰もおらず、すぐに乗車する。
実のところ、買い物に行く程度なら大した手間でもない。
俺の降りる駅は彼女の数駅先で、行き先自体は同じなのだ。彼女が都会で俺が田舎というだけの話。定期は途中下車する分には何のペナルティもない。
バレないようにそっぽを向いて、もう一度、ため息をつく。
あれからずっと、こんな毎日を過ごしている。
俺が遅れて彼女が怒る。でも最後には必ず二人で何処かへ出かける。
傍から見ている分には仲の良いカップルに見えないこともない。
以前もこの日常を目撃した同級生(悪友)が登校するなりはやし立ててくるものだから、不本意にも鎮圧行動を取らざるを得なくなってしまったこともあった。
まったく、俺と彼女は一度だって待ち合わせなんてしたことがないってのに。
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