昨日、バイトさんに墓のことについて尋ねると、
彼は触れてほしくはないことのように、忙しいからと去って行きました
しかし彼は今日もまた、多忙のようです
ここは彼の元々の仕事場ということで、すべきことが多いのでしょう
晴れた空の下、銃の墓は今日もひっそりと、基地に寄り添っています
洗濯物をしていると、助手さんが整備の時間だと私を引っ張って行きました
右腕のマニピュレータ周りの調整を行っているときに、私はためしに尋ねてみることにします
何故人は、死んだもの、いなくなったモノに対して、墓を建て、想いを馳せるのでしょうか
助手さんはパソコンから手を放し、近くにあったドライバを掴んで、指先で器用に回します
それから私の腕の外部装甲 -と言っても人で言う肌なのですが- を取り付けていきました
ちなみにドライバは使いません
彼女はしばらく無言でドライバを回していると、
墓とか黙祷、墓参りっていうのはね、残された奴らが自分を納得させるためにするもんなのよ、
と教えてくれました
人は思い入れなんてものを持ってしまうから、失ったときに悲しみなんてものを感じてしまう、
少なくとも、あたしはそうだけどね、と助手さんは笑いました
その笑顔は、この前の笑顔とは少し違うように思えました
メンテナンスが終わり、私は彼女に問います
ならば、墓というのは有機物にのみ行われる行為なのかと
すると彼女は私を抱きしめ、
あなたが死んだら、私が墓だって何だって作ることになるわよ、きっと、
と言いました
彼女は、私が破壊されることに納得を必要とするようです
今日は墓というものについて学びました
この情報を整理して、本日の行動を終了いたします
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