今日は博士の言うように、以前の日記を見直してみました
さすがに十三日も書いているだけあって、記述にはずいぶん差があります
どちらのほうが読みやすいか、肝心なところについて私は判断できませんので、
博士に問いかければ、工夫は色々してみなさい、と言われました
日記のモデルなどがないので、難しいことだと判断されます
今日もまた博士と釣りに行きました
釣果は博士が三匹、私が二匹と少ないものでした
持って帰るのは三匹として、これを調理したものが昼食でした
三枚におろしてソテーにしたもので、助手さんは半分だけしか食べませんでした
余った半分はバイトさんが食べました
昼はバイトさんと話をすることになりました
研究室の屋上で、バイトさんは横になりながら、私はその隣で膝を抱えて座り、
話した内容は博士についてです
最近の博士は話しかけてくることも多くなりましたし、何より外出という現象が起こっています
この建物を出るなと言ったのは博士です
なので、この行動は、私であればエラーをきたすもののはずです
すると彼は、酷く口端を歪めたました
彼が言うには、今更後悔し始めたんだろ、とのことでした
続けて彼は、それに博士は肝心なところには連れていってないはずだ、せいぜいこの近辺、違うか、
と問うてきたので、私は彼の言う通りだと肯定しました
彼はそれで何かを納得できたようですが、私にはよく解りません
何がわかったのかを続けて問うてみましたが、彼は教えてくれませんでした
誰が何を考えているのか
予測がつくことですら、私には何一つ分からない
この差はどこから生まれるのでしょうか
そしてこれは、私が未熟だとすべき点なのでしょうか
おそらく私が誰かの意図を予測することで、喜ぶ人はいるでしょう
しかし本当に私は、それをできなければならないのでしょうか
求められていること、強制されていること
人を観察していると、その辺りが分からなくなります
何をすればいいのか
何をしなければならないのか
私は日記を書くことを求められました
私は朝食を作ることも求められました
ですが、モノには役割があります
冷蔵庫であれば物を冷やして保存しておき、コンロであれば熱を出し、
フライパンは加熱処理をするための受け皿として作成されました
では、私は何のために作成されたのでしょうか
人は、何のために活動するのでしょうか
この疑問を最後に、私は本日の行動を終了いたします
Copyright(c) 2010 YOSHITOMO UYAMA all rights reserved.