作るモノと作られるモノ

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五章:Can the doll have soul?


 満たされたいと思った。
 初めから何もなく、そして今をもって何を求めているのか分からず。
 ただ笑うことができるなら、私は満たされるのだと。
───だから、私はそれを求めるのだろう。

■Gear grating, as if thirsting.


 視界が白く染まっていく。
 それは無数の水滴であり、空から降り注ぐことで雨という帳(とばり)になる。
 雨自体の勢いはさほど強くなく、故(ゆえ)に傘にそれがぶつかり爆(は)ぜる音は聞こえない。ただ骨組みの先から零(こぼ)れ落ちる粒が時折(ときおり)はみ出した服をぬらすだけだ。
 足は誘われるように目的地へと向かい、口元からは煙が漏れる。
 燻(くゆ)らせる白は、うまいとは言いがたい。いつものタバコ探しでたまたま名称を気に入って購入し、味を二の次にした為だ。
 吐き捨てられた煙はまっすぐに空へと流れていき、雲は染められたかのように灰色に暗く曇っている。
 面倒だと、思っている。
だが身体はそれを否定するように、何かに引き寄せられるように動いていた。
 相反(そうはん)する自分に、スコアのことを思い出す。
それは過去に捨てた夢であり、諦めていたことだ。マスターに告げたような言葉は建前(たてまえ)にしか過ぎない。
 だというのに、違和感なく祖父の背中云々(うんぬん)に答えられた自分がいる。
「チ──」
 それ以上考えないように、舌打ちで意識を外に向けた。
 ほとんど吸っていないにもかかわらずタバコはほとんどが燃え尽きており、それどころか最後の煙が雨に溶けていくところだった。
 慌ててポケットから灰皿を取り出し、燃え尽きたタバコをねじ込む。
 代わりに取り出すのは、二本目だ。まずいタバコはさっさと吸いきってしまうに限る。
 だが落ち着いた精神は、また過去のことをぶり返す。
 夢を追うなんていうくだらないことのために辞めた大学。そんなことを考えずにただ黙って言うことを聞いていれば、今とは比較にならない生活を送れていただろう。
 ただあの頃は、自分の価値観(かちかん)を、何も知らない相手に押し曲げられる行為は受け入れられなかった。若かったのだろう。
「──スコア、か」
タバコの火にくすぶり始めた後悔を、これ以上燃えないようにと煙と一緒に吐き出す。
 入り組んだ路地を記憶に沿って歩き、雨を弾(はじ)く足音を聞きながら角を曲がった。そこが終着点であり、
「───」
 果たして彼女はいた。
 いつかのように適当な壁に背を向けて、膝(ひざ)を抱えて眠っている。
「いや──」
 咄嗟(とっさ)の判断に首を振る。
 自動人形は人形ゆえ眠ることはない。あれはただ目を閉ざし、行動を制限しているだけだ。
 分かっているのに、納得できない自分がいる。
 あの時と同じ。程(ほど)なくして人形だと気付いたにもかかわらず、そう信じられないまま彼女を傘の下に置く。
「・・・・・・とっとと家に帰れ」
 煙と共に口を出たのは、いつかと同じ、あの言葉だ。
 伺(うかが)うように視線を落とせば、ゆっくりと持ち上げられる頭がある。
その行為にエメラルドの髪からはいくつもの水滴がこぼれ、路地にできた小さな川に飲まれて消えていく。
 やがて完全に彼女の顔が持ち上がったとき、髪と同じ色をもつ瞳に彼が映し出されるのが見えた。
 吸い込まれるような色に若干の逡巡(しゅんじゅん)。目を合わせたまま、お互いに黙り込む。
 その静寂(せいじゃく)を先に破るのは、彼女だった。
「これ・・・・・・」
 まるで子供が大切なものを見せるように、両の掌(てのひら)に包まれて差し出されたのは、雨水にふやけ、ぐしゃぐしゃになった大量の紙幣(しへい)だった。
 彼女の服自体も以前のゴシック調のドレスとは異なり、肩の露出(ろしゅつ)したシャツにジーンズという軽装(けいそう)に変わっている。
 おそらくあの服では誰かに話しかけようにも避(さ)けられていたのだろう。
 その点には納得して息をつき、
「どういう意味だ?」
 傘の下で、差し出された紙幣の意図を問う。
 彼女はそのまま無表情に彼を見上げ、そして濡(ぬ)れた腕は固定したまま微動(びどう)だにしない。
 しばらくして彼の声、その響きが全てが雨音に変わろうとしたとき、答えが来た。
「これで、どこかに泊めてください」
 言葉はたどたどしく、使い慣れないものが無理矢理(むりやり)それを発(はっ)するようなつまずきがあった。
 彼は思う。
 おそらくこの台詞は、幾度(いくど)となく無視されてきたものなのだろうと。
 自分は少なくとも相手に抱く感情は一般人と同じものだと思っているし、彼女の態度は受け入れられるものではないと感じられる。
 時には金だけ持っていかれたり、襲われることもあっただろう。
 マスターの件(けん)を考えれば、後者はともかく、前者は逃げられてしまえばどうしようもない。
 おそらく慣れないであろう敬語を学び、使えるようになるほどの回数を、拒絶され続けてきたのだ。
 同情するわけではなく、また驕(おご)るわけでもない。
 ただ、いい機会だと思った。
「とりあえず、それはさげてくれ」
 無言で、その表情に何も浮かべることなく手を引く彼女を見ながら、彼は考える。
 夢を取り戻すか、それともただ保護するか、あるいは自分には向いていないと目の前の人形を見捨てるかだ。
 悩み、やがて銜えたタバコが最後の灰を路地に落とす。
 黒く溶けたそれを見て、彼は口を開いた。
「立てるか?」
 取り出した携帯灰皿に吸殻(すいがら)を落とし、手を差し出す。
 だが彼女は理解できずに視線をさまよわせるばかりで、一向(いっこう)に手を伸ばそうとはしない。
 足を三角に立てた膝、その上に乗せた掌がある。
そこに包まれた紙幣を一瞥(いちべつ)し、
「どういう、こと?」
 ようやくという間(ま)を持って、彼を見上げた。
 だが彼すらも答えることはできない。彼にとって、これは直感だけに頼った行為でしかないのだから。
 ただ、彼女をここに放り出すことができないという、それだけだ。
 ありのままを伝えれば、彼女の疑問はより深くなるだろう。
 仕方がない、と苦笑して、彼は彼女の腕を掴(つか)んだ。
 説得できなければ、強引(ごういん)に行くだけだ。
「──ほら」
 どういう経緯か分からないが、手元の紙幣は彼女の稼(かせ)いだ金だろう。
それを落とさぬよう、腰が持ち上がればそこに手を回し、引き上げるようにして立ち上がらせる。
 抱き寄せた身体に伝わってくるのは、紙幣を包んだ掌と、人形師であれば解(わか)る感触。
 それは人形の振動であり、温度であり、鼓動(こどう)だ。
 深緑の瞳が、間近に見える。
 それで確信した。彼女は確かに、マスターの組織でさえ求める自動人形であることを。
 抱き寄せた身体を、会話の距離に離(はな)す。
「俺はクラーゼ。お前の名前は?」
 立ち上がった彼女を見下ろしながら、彼は視線を合わせる。
 ややあって、紙幣を乗せた掌が揺れた。
「ラティ・・・・・スメクラティ」
彼はそうか、と顔を背け、素(そ)っ気無(けな)く理解を伝える。
 自動人形に雨による影響は少ないが、とはいえこれまでの生活でガタはきているだろう。
 ひとまずは、家に案内したほうがいい。
 そう判断して背を向けると、抵抗が来た。
振り返る。
 紙幣は濡れた路地に散らばっており、それを包んでいた掌は彼の作業服の裾(すそ)を掴んでいた。
 彼はどうしたものかと思案(しあん)し、しかし戸惑(とまど)う彼女を見て口を開く。
「ラティ──」
 全てを押し流す雨は、だからこそ全てを受け入れていく。
 その言葉を、彼は小さな、しかし確かな言葉として紡(つむ)いだ。
 少しは変われるだろうか、そして、変わっていけるだろうかと。

                   ■Can the doll have soul?
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 いつものタバコ探し:彼の趣味のようなもの。適当に町をぶらつき、適当に店を覗き、適当に気に入ったタバコを購入する。だからハズレることもしばしば。

 大学:レクナンディムに存在する、人形師にとっては最高といえる大学。卒業には自動人形を組み上げる全ての工程で高い得点を獲得(かくとく)しなければならない。

 肩の露出したシャツにジーンズ:やはり相手にされなかったラティがまず考え出した結論として服が汚いというのがあった。よってすぐに服を買いにいった彼女だが、よくわからないため結局店員に任せてしまった一品。


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