作るモノと作られるモノ

BACK NEXT TOP


四章:under the moonlight garden.


 紅く染まる町がある。
 町の名前はレクナンディムであり、その街道にはくたびれた作業服の男が、大衆から浮き上がるように歩いていた。
 いくら人形師とはいえ、彼ほど身なりを気にしないものは珍しい。
 しかし彼にとって時間を計る太陽は山の稜線(りょうせん)に帰っていくところであり、周囲の人間も誰彼(たそがれ)の中に埋もれて気にならない。
 好ましくもあり、疎(うと)ましくもある時間帯。
 まるで降り注ぐような赤を避けるように、見知ったドアを開けた。
 だが同時に香るのは赤のにおいだ。
 彼は、逃げたはずの感情をより鮮烈な形で叩きつけられたことにやや苛立(いらだ)ちを感じるが、
「おや、珍しいね」
 頬にガーゼを貼り付けたマスターの姿を見れば、少しはマシになる。
 酷い性格だな、と苦笑して、鼻につく錆色(さびいろ)を振り払うようにカウンターへと向かい、
「紅茶一杯」
 肘を置いて、コインを二枚、カウンターへ転がした。
 建前の代金を受け取ったマスターはそれをレジに投げ込み、奥へと消える。代わりに届くのはやや聞こえづらい彼の声だ。
「そんなに、気になるような表情だったかな?」
「普通の客には分からないだろうさ。ただ、俺は残念ながらあんたとの付き合いが長い」
 肩をすくめての台詞に、マスターは、そうだったな、と懐かしむ声を前置きする。
「今日はどうしたんだ?用も無しにこんなところに来るなんて珍しい」
「外が気分悪くてね」
 一度瞳を閉じ、何とはなしに入り口へと顔を向けた。
 左右の壁に嵌(は)め殺(ごろ)した窓から差し込んでくるのは、考えようによっては美しくもある赤の陽光だ。
 ただ、今日のは色が強すぎる。
 今彼の抱(いだ)く感情を理解できるのはおおよそ碌(ろく)な人間ではなく、残念ながらマスターもその部類に入る。
「・・・・・・そうだな。一度体験したものには、キツいだろう」
 同意の言葉にああ、と返事を返し、後は紅茶ができるまで無言。
 程なくして、湯気を上げるカップを両手に持ったマスターが奥から歩いてくる。
 差し出され、受け取るなり香りをかいだ。眼鏡越しの視界が白く染まり、カップを放せば染み込むように視界が戻る。
 不快な香りに遮(さえぎ)られながらもなんとなく届いたのは、
「アールグレイ、ね。この前はダージリンにハマってなかったか?」
「在庫が切れたんだ。残りで一番多いのがそれだった」
「何考えてあれだけ買ったんだか」
「まったくだ」
 言って、過去に区切りをつけるように双方ともカップに口をつけた。
 仕切り直して告げるのは、目的の話題だ。
 言いづらく、彼はにおいから生まれるマイナスを和らげようと軽い口調に勤(つと)めようとするが、
「なんだって、今日はこんなに血なまぐさいんだ?まさかでかい魚や肉でも捌(さば)いてたわけじゃないだろ」
「ああ。五人分の命だ。魚や食肉とは比較できんよ」
 事実が軽くなるわけではない。
 言葉に生まれた感情を飲み下すように、マスターは少し多めに紅茶を含む。
 応えるように紅茶を飲み下せば、熱い塊が喉を抜けていった。
「・・・・・・聞いていいか?」
「ああ。かまわんよ。ただあったことを告げるだけだ。他言(たごん)したところで、明日には処理が終わっている」
 なかったことになるからね、と苦笑する。
そこに含まれる表情に、
「あんたがいる限り、そうはならないさ」
 彼は、顔を伏せてカップに口をつけることで応じた。
 ブラッディティーというわけではないが、アルコールを含んだ紅茶を飲んで尚(なお)香る血臭(けっしゅう)が、そう感じさせる。
 ある意味では、これもまた死を悼(いた)む行為の一つかもしれない。
 陰気(いんき)な思考だ。そう考えて、重くたまった息を吐き出しながら、話を逸らす。
「それで、どこのどいつなんだ?」
 軽く考えれば、一般人さえ襲う妖魔(ようま)か、あるいは組織の敵らしい、ある魔術師の連合というのが妥当だろう。
確か名称はTuba Mirum。レクイエムにおける奇しきラッパの響きを関した連中は、妖魔と協力してあるものを狙っているらしい。
 彼ら自身は妖魔と異なり人に危害を加えることはないのだが、マスターの属する組織には異常なまでの執着心と敵対心を持っている組織だ。
しかし、事実は現実より奇(き)なりという。
 マスターは少し考える素振(そぶ)りを見せてから、
「身内だよ」
 やれやれ、とため息をつく。
「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、という奴かな。こちらの幹部が一人、そして私の部下が五人殺された」
 そう言って、一息にカップの残りを飲み込む。
 かける言葉を持たない彼は合わせるように紅茶を含み、
「そこまで言っていいのか?」
 苦笑を浮かべた。
 それにマスターは吐息つきの肯定をこす。
「今更だよ。それに君がそれを知ったところで、こちらの都合がどうなるわけでもない」
「──違いない」
 話の切れ目に生まれるのは、沈黙という静寂だ。
 悟られぬよう一息つき、カップを口元に。
 相変わらず中身は胃を焼く。マスターの分だけならばともかく、何も自分のカップにも入れなくてもいいだろうと彼は思う。
 あまり酒には強くない身として顔をしかめていると、声が来た。
「・・・・・一つ、頼んでもいいかな?」
 声は小さく、力なく、しかし決意が込められている。
 だからこそ、彼はこう答える。
「俺にできることならな」
 元々彼は依頼人から指示を受けて仕事をするタイプだ。内容は人形師という枠(わく)にはまったものに限られているが、親しい相手には、気が向けばそれ以外の仕事を請(う)けることもある。昔取った杵柄(きねづか)もあるために、多方面に手が伸ばせるからだ。
 とはいえ、できる限り血なまぐさいことは勘弁して欲しいというのが彼の本心ではあるので、
「あんたには借りがあるからな」
 カップを置き、
「だけどな、争いごとに巻き込まれるのは勘弁(かんべん)してくれ」
 即座(そくざ)の追加に、マスターは親しみのある笑みを浮かべる。
「それでも男か?」
「強いだけが男なら、俺は男じゃないと言われてもいいさ。そもそも、俺は喧嘩(けんか)に弱い」
 肩をすくめ、空になった紅茶から視線を上げる。
 カウンターに腰を落ち着けるように身体を回し、髪を掻(か)き揚げた。
 言葉を待つ身にかけられるのは、独り言のような呟きだ。
「エメラルドの自動人形を覚えているか?」
 小さく頷きを返す。
 だが返答はない。
 聞こえていないのか、と彼が振り返ろうとしたとき、唐突(とうとつ)にその声は響いた。
「彼女は不器用だ。だから、よろしく頼む」
 余分な感情も言葉もなしに、ただ願いだけを告げる最短の意思。
 だからこそ、想いが伝わる。
 だというのに、訊(き)いてはいけない、余分なことが頭に浮かぶ。
「・・・・・・あんた、あの人形に因縁でも?」
 好奇心は猫をも殺すというが、あいにく彼は人間だ。
「言いたくないなら言わなくていい。余計なことなのは百も承知(しょうち)だが、それを黙っていられない性質でね」
 正確には、親しい相手には、だが。
 それはつまり遠慮(えんりょ)がないということなんだろう、と都合のいい解釈をしていると、声が来た。
「彼女は特殊でね。何も知らないまま、何も理解しないままに仕事を続けていた」
 そこまで答え、しかしマスターは口をつぐんだ。首を横に振る。
「何が理由か。それはこの状況で必要なものじゃない。どういう意図で他人を気にかけるかなんていうのは個人の意思だ」
「──そうか」
 一息というわずかな時間を置いて、彼はカウンターを離れる。
「・・・・・・すまないな、巻き込んでしまうことになって」
 小さな、本当に小さな言葉だった。
 歩き出す背中は受け取ったそれに振り返ることはなく、ただ無造作(むぞうさ)に手を振り返すことだけで答える。
 ドアを開けた。
 からんころん、とベルが鳴る。ありがとう、すまない、と。

■under the moonlight garden.
────────────────────────────────
頬にガーゼ:上司に殴られた痕(あと)です。

過去に区切り:紅茶好きでありその在庫を増やしたのはマスターの妻であり、既に亡くなっているため。

 俺は喧嘩に弱い:単純に手加減ができないということ。喧嘩は相手を殺さないことが条件なので。よって戦闘になればその限りではない。意外と不器用。


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2010 YOSHITOMO UYAMA all rights reserved.