夜の街は、光に彩られていた。
満天の夜空の下、町並みは対抗するようにその存在を主張し、しかし街路にはほとんどのライトが息を潜めている。
光と闇が、町を区画に分ける。
その闇の中、周囲の黒を押しのけるようにして、何らかの姿が隠れている。人の影は、それに飲み込まれたかのようにほとんど見られない。
そんな中を、数少ない例外として歩く青年がいた。
思い出したように灯る街灯に浮かび上がるのは、以前彼女に傘を差し出した青年と同一の容貌(ようぼう)だ。
彼は一抱えもある荷物を片手に抱いて、周囲を気にする風(ふう)でもなくのんびりと歩を進める。
時折流れていく車のライトに照らされて異形(いぎょう)──妖魔(ようま)が姿を見せるが、彼の存在に気付いた様子はない。
目の前で世間話をする妖魔の組(くみ)を軽いステップで避け、彼はズレてきたメガネを人差し指の第一関節で軽く押し上げた。
今日も、口元のタバコが煙(けむ)ることはない。
夜は確かに妖魔が鬱陶(うっとう)しいが、彼の首から下げられた十字のペンダント──今は淡い翠(みどり)の光に包まれたそれが彼の姿を覆い隠してくれるので絡まれることはない。
それは家屋(かおく)にも似たようなものが付与(ふよ)されており、だからこそ人は妖魔と共存できていると言っていい。
そこで思考のようにズレてきた荷物を抱えなおすと、中身がもっと丁寧に扱えと責めるように、甲高い音で身じろぎした。
それに若干のため息を空気ににじませて、彼はclosed(へいてん)と札のかけられた雑貨店のドアを開けた。
まず目に入るのは、アンティークの目立つ空間の奥にある、客と主人を分けるように構えたカウンターだ。
それに肘を突いた男が、ベルの音に、手にした新聞から顔をあげた。
「・・・・・ん?ああ。君か」
笑みで彩られるのは、太り気味で恰幅(かっぷく)のいい男だ。位置的にこの店のマスターだと分かる。
外からは壁に埋まっているようにも見える店内は、思うよりは広い。
二桁に届く程度の歩数をかけ、彼はカウンターへと荷物を下ろした。
詰められた複数の物品は重奏(じゅうそう)という音を響かせて袋の形を崩し、また落ち着く。
中身を考えれば乱暴とも言える扱いにマスターは顔をしかめ、
「おいおい。せっかくのスコアなんだぞ?」
「悪い。──どうもな」
顔をしかめた謝罪。それは彼自身が無意識の内にそう加減したという証明になる。
そしてマスターはその原因を知るからこそ、今の感情を吐息としてこぼし品物を手元に引き寄せた。
「相変わらずだな。まだ、あきらめてないのか?」
告げる言葉は若干硬い。彼はそれに何かを返そうとし、
「─────」
やめた。
マスターはその無言を肯定と納得し、袋のボタンを外す。
中身で身を寄せ合うようにしているのは、円筒にいくつもの歯車を組み合わせた、あるものは複雑で、だがあるものは簡単な組み合わせの宝石───スコアだ。
一つとして不十分なものはなく、芸術ともいえるバランスを持って歯車同士が噛み合っている。
要望通りか、それ以上の注文品を検(あらた)めたマスターは袋を戻す。
「十分すぎると思うのは、素人の浅はかさなんだろうなあ」
そう言うマスターだが、彼は仕事柄あらゆるスコアを見てきた男であり、決して素人というわけではない。
つまりそんなマスターが認めるものに納得できないのは単に、
「・・・・・俺がわがままなだけさ」
「やはり祖父の背中がでかすぎるか?」
まあ、という曖昧(あいまい)な返事には、自嘲(じちょう)という意味が込められていた。
マスターはそれを背中で聞き、荷物を奥の部屋へと仕舞い込む。
少し時間をかけて在庫整理をかねて荷物を片付け、戻ってきたマスターの手に提げられているのは封筒が一つ。
カウンターに座り、渡した袋の代わりに差し出される。
受け取り中身を見れば、顔を覗かせるのは束になった紙幣だ。
その金額をざっと確認して封筒に戻し、すぐに作業着の内側にあるポケットへとしまう。
懐の重みから生まれるのは、後悔と、納得できないという思いだ。
「相変わらず、これだけ評価される理由がわからないかな?」
彼は無言。相変わらずの態度にマスターは眉を八の字に曲げる。
そして吐息を一つこぼすとカウンターの椅子へと腰を落ち着け、新聞と口を開いた。
「見せてやれればいいんだがなあ。──本当のスコアというものを」
「・・・・・あっても国家機密レベルだろ。少なくとも、あんたの後ろ盾くらいの力はいるだろうさ」
皮肉のこもった台詞に、マスターは苦い顔で紙面に目を流すだけだ。
彼自身存在については詳しくは知らないが、マスターにはバックがある。妖魔(ようま)を交えたマフィアの一団が裸足で逃げ出すほどのものが。
ただマスターは決して彼にそれを明かそうとはしない。だからと言うわけでもないが、
「相変わらずそれに対しては絡むなあ」
何かと話の度に、それを口にしているらしい。
本にしかない幻、あるいは眉唾(まゆつば)と納得してしまうほうが簡単かつ道理にかなっている、荒唐無稽(こうとうむけい)で御伽噺(おとぎばなし)のようなスコアの存在というのは確かにある。どこにでもある噂話のようなものだ。
その真偽を確かめることができる、彼にとって一番近いものが、マスターの後ろにいる存在している組織だと。
そんな期待と推測が、彼の中で溶け合っているからだろう。
その思考に引き出されるように、昨夜の光景がよみがえる。
「・・・・・ま、自力でも面白いものは見つけられるけどな」
突然の呟きに、マスターは疑問で彼を見据えた。
応えるのは、かすかではあるが、久しぶりに浮かべる笑みだ。
「俺でも判らなかったんだ。それが人なのか、人形なのか」
マスターの表情が、驚愕というものに変わる。
通常自動人形は登録された感情、あるいは感情を知らないという前提での、本当の意味での無感情しかもたない。
それを超えて存在するもの、つまり変化する感情を書き記した旋律(せんりつ)を持つものが、彼の求めるスコアだった。
「あれは感情を知らない無感情って表情じゃなかった。感情をなくしたっていう無感情だったんだ」
口にタバコを銜(くわ)える彼に、マスターは新聞をたたみ、向かい合う。
「・・・・・・ふむ。それは珍しいな。どんな人形だったかな?」
「エメラルドの髪と瞳だったな。大人びているくせにガキっぽい、よくわからない奴だ」
「相変わらず、生きた無機物に対しては優しいな」
苦笑で彩られた言葉に、彼は違う苦笑で返す。
「俺の仕様だ。今更変えられないし、そもそも変えるつもりが無い。そもそもただの職人だからな。愛想なんて必要ないさ」
「まるでお前の爺さんみたいなことを言うなあ」
懐かしむマスターに、彼は苦い表情でもって応える。
その様子にマスターは表情を真顔に戻すと、
「で、その人形はどうしたんだ?」
「放ってきた」
予想だにしなかった返答に、マスターは、は、と呆気にとられる。
彼はそれに、タバコを挟んだ右腕で頭をかくと、
「あれだけのもんだ。ゴミ捨て場に捨ててあったわけでも無し。下手に持って返ってどこかの蒐集家(しゅうしゅうか)に訴えられちゃかなわないからな」
冗談めかした風体で、火の点らないタバコを銜え直す。
「せめて製作者くらいは知りたいが──完全な個人作品だった」
言って、マスターを見る。
視線に意図を理解したマスターは、苦虫を噛み潰したような、笑みとは言いがたい笑みを浮かべた。
「一応調べてやるが、それだけの情報だと難しいぞ?」
「いや。──悪い」
気にするな、と肩を叩かれる。
いつものやり取りに、しかしいつもほどの期待はない。マスターの組織は個人的な頼まれごとを受け付ける便利屋ではないのだから。
だが、
「安心しろ。時機(じき)が来れば、きっと君はめぐり合うことができる」
思いのほか力ある瞳で、マスターはまっすぐに彼を見た。
思考が表情に出ていたのかと思う。だが瞳に宿った力は一瞬であり、彼が信じるに足る時間に届かない。
結局は気休めかと、そんな結論を得る。
励ます笑みを浮かべたマスターに、ああ、と簡単に返答した。気休めに感謝するという響きを込めて。
身体をカウンターから離し、まっすぐに歩く。
やがてたどり着いたドアを引けばベルが鳴り、
「あながち、まったくの気休めというわけでもないんだがなあ」
困ったような声は、しかし表情の見えない彼には届かない。
外は相変わらずの夜。妖魔が闊歩(かっぽ)するにはうってつけの満月であり、憂さ晴らしの一つにはなるかもしれない。
そう判じて、彼は路地へと身を翻(ひるがえ)す。
首から提げたペンダントを、ポケットに隠して。
■Don’t remember decided dancing.
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妖魔:人の知能に魔術の神秘、そして獣の狡猾(こうかつ)さを持ち合わせた生き物。基本的に昼はどこかに隠れている。
夜は危険:つまり妖魔に襲われるため。しかし一部の人間は車などに妖魔から身を守る加護を見につけることで難を凌(しの)いでいる。ただし本当に一部の人間だけであり、絶対に守られるという保証もないので、加護があっても外に出る人間は稀(まれ)、もしくはバカ。
憂さ晴らし:通常の人間であれば返り討ち上等だが、彼にとってはその限りではない。理由は彼の祖父がそういったことに対抗する自動人形を作成していたこと。人形を作るものがそれより惰弱(だじゃく)なことを彼は許さなかったため。
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